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序
遠からん者は音にも聞け、近くば寄つて目にも見よ[1]。
我こそは、伊予国松山[2]の今村nsfisis健介なるぞ。我が主君、賤ヶ岳の七本槍が一人加藤嘉明[3]の命により、此度の戦東軍にて[4]馳せ参じたり。
令和八年五月三十一日、かの関ケ原の地にて催されたる「関ケ原Ruby会議01」の参戦記をここに記したく候。
触
触書[5]によれば、「関ケ原Ruby会議01」とは以下のとおり。
天下分け目の地域Ruby会議に候
関ケ原Ruby会議01は、天下分け目の地「関ケ原」に本陣を構え、Rubyを語らう諸将参集の場に候。
いにしえの兵どもが夢の跡にて、いざ新たなるRubyの軍記を刻まん。
いはば関ケ原にて催されたる地域るびい会議[8]の一つにて、胡乱なる趣向が乗りたるものに候。
ぺちぱあ会議令和八年[9]の奉行衆[10]打ち上げの席にて、藤原字佐美上野守推論之丞忠吉[11]より、かような催しの開かるる由聞き及び、参陣を決したり。
関ケ原Ruby会議行くか、なぜならおもしろいので(コンセプトそれ自体だけでも参加の価値がある秀逸さであるの意)
講
いづれの講説も趣深きものなりしが、東軍次鋒の武将[12]、橘小芝内匠頭緒美三幸[13]の創作電算設計[14]の講、ことに心に残れり。講説の中にて紹介されたる「家紋生成器」なる道具を以て、我が家の家紋をおぼろげながら作りたり。
幼き頃に数度見しのみなれば、梅の描かれたることの他は覚えざれども、およそかような姿なりけむ。
さても、我がえすえぬえすの紋[15]は元来 ぴい五じえいえす[16] にて作られしものにて[17]、動くこそ本来の姿なれ。我が あばうとぺえじ にて動きたる版を見ること能ふ。
戦
講説の後には「合戦」あり。東軍ならびに西軍に分かれ、玉入れ競争[18]を行へり。
我も東軍として玉を投じたるが、無念や西軍の勝利となりける。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
結
趣旨どほりの謎めきたる催しなりしが、実に楽しきものにて候。武将・奉行衆・御支援衆[19]の皆様方、誠に忝く存じ奉る。
この口上は平家物語由来であり関ケ原の戦いとはまったく時代が異なるのだが、この記事に時代考証を期待してはいけない。
出身地であり、今回実際に松山から来たわけではない。
伊予松山藩の初代藩主。
加藤嘉明は東軍の武将として石田三成の本隊と戦っている。
ホームページ。この後も各種言い換えはフィーリングでおこなわれている。
個人スポンサー。これはイベント公式の訳語。
「大名として」だと冒頭の加藤嘉明の下りと矛盾しているが、この記事にそんな理を期待してはいけない。
地域Ruby会議。「関ケ原Ruby会議」は公式がそうなっているので「Ruby」のままにした。
PHPerKaigi 2026。
スタッフ。イベント公式訳。
個人スポンサーは「武将名」を公式ホームページに載せることができ、そのページから引用した。
スピーカー。イベント公式訳。
クリエイティブコーディング。
SNS アイコン。
p5.js。
ただし現在は p5.js を使わずにバニラ JS で書き直されている。
玉入れ競争。言い換えではない。
スポンサー。イベント公式訳。